戸谷氏は、國分功一郎氏の「ある犯罪の加害者が(略)罪の意識を持たなければならないと思ってきた、自分の意志で犯罪を犯したと思っていたが、「意志など存在しない」という免罪されることによって、かえって自分の行為に向き合えるようになった」という趣旨のことを引用している。(P.94~P.96)
自分の犯したことを振り返るときに、自分のしたことを振り返るのではなく、他者のストーリーに従って振り返ることになれば、「自分」というものを失うのではないか、これまでの社会に帰ることができないのではないかという恐れが生まれるのでしょうか。そうではなく、自分の行為を振り返るときに、そのようなプレッシャーを感じることがなければ(自分のことばで話して良い、自分の居場所がある、など)、自分の行為を振り返ることができるというのは、反語的ですが、忘れてはいけないことでしょう。だからと言って、犯罪を認めているわけではないということは念のため書き添えておきます。(2025.3.3.)
(参考・引用図書:『生きることは頼ること』戸谷洋志 講談社現代新書2751 2024年)
最近のコメント