雨宮氏は著書の中で、「当時はとにかく勝ち続け、人を蹴落とし続けなきゃ生き残れないと思っていたし、失敗した人間は「自己責任」だと思っていた。」(※1・256ページ)と書いています。また、「そのような考え方でいる限り、自分が「負けた」時には「自己責任」と切り捨てられ、見捨てられることを甘んじて受け入れなくてはいけないのだ。だからいつも緊張し、自分が「損」しないこと、リスクを取らないことばかりに心を砕いていた。あの頃の自分を思い出すと、殺伐とした心象風景が立ち上がる。」(※1・256ページ)とも書いています。
このような考え方をする人は少なくないと思います。成功した者は努力したから、失敗した者は努力が足りないから、という考え方もありました。「勝ち組・負け組」ということばも流行しました。「負け組」にならないために「人を蹴落とす」ことが許されるのであれば、結局はその社会は「自分だけが良ければ良い」社会になっていきます。また、いったん「勝ち組」になっても、その集団のなかで次の競争が生まれ、次の「負け組」が生まれます。「負け組」には、「再起」ということは許されないのであれば、多くの人が「いつも緊張」状態になり、そして「殺伐」とすると、ゆったりと過ごすことはできません。昨今の状況を見れば、それも納得できます。だとすると、そもそも、「成功した者は努力したから、失敗した者は努力しなかったから」ということが誤りということになるでしょう。(2024.11.11.)
(参考・引用図書※1:『死なないノウハウ』雨宮処凛 光文社新書1299 2024年)
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