平田氏は、「対話と会話は混同されがちだが、会話が単なるおしゃべりであるのに対し、対話は相手との違いを大切にし、価値観を擦り合わせていく営みだ。意見を押し通し、相手を説得するようなディベート(討論)とも異なり、自分の価値観が変化する可能性に対して開かれた構えが要求される」と言う。

自分の話したことに対して、質問をされることを嫌がる人がいます。分からないことや説明不足の部分を聞かれるということではなく、お互いが話しをする中で内容を高めることでもなく、自分の話した内容が否定される、間違いと言われるという思いが先行することがあるようです。「できない」ということばに敏感です。それは、ディベートなどで使われる「論破される!」というイメージが強いのかもしれません。極端な場合、ディベートは、内容ではなく勝ち負けが優先されているのでは、と思うこともあります。自分に自信や確信がなければ、脅威に感じることもあるでしょう。そうなると表面的なかかわりの会話にとどまるかもしれません。集団で何かをうみだすためには、対話が不可欠だと思います。そういう対話が普通にできる職員集団になるようにしていきたいと思います。(2026.1.26.)

(参考・引用図書:『深まる分断。どう生きるべきか 劇作家・平田オリザさんに聞く』 2026年1月1日付中国新聞 6面)