これまで「観察する」ということばが出ました。「洞察する」も同じような意味だと思いますが、より鋭い感じがします。辞書的には「見抜く」という説明がありますが、正確に客観的に描くという「観察」に比べて、そのものがそのものたり得る特徴を抜き出すというイメージがあります。そのものの「本質」ということになるのでしょうか。

「洞察」するということばはほとんど使うことがありません。そのため、このことばが使われる場面のイメージがなかなか出ないし、このことばに関する印象やとらえも、抽象的になってしまします。あいまいなことばを使うときは、そのことばの意味が分かっていなということなのでしょう。これからそういうことが少なくなるように「がんばろう」と思います。(2025.6.3.)