障害のある子を持つ家族にとっての「老いる」~前回のブログから~
前回のブログで、「「障害のある子の面倒は何歳になっても親が見るもの」という考えはまだ根強いのかもしれません。「ずっと過ごしていると、離れて暮らすなんて寂しくて考えられない」という人もいるでしょう。でも結局は、「離れて暮らそうにも、入所施設は少なくなり、グループホームも、すぐに入れるほど多くなっていない」という現実があるというのが、正直なところではないでしょうか」と書きました。その結果、高齢となった障害のある子と高齢となった親が同居しているケースが少なくありません。
『私たちはふつうに老いることができない』(児玉真美・著)から
今年5月、児玉真美さんが書かれた著書『私たちはふつうに老いることができない』が発行されました。その本の帯には「障害者の親も「支援の必要な人」としてとらえる視点」と書かれています。
児玉さんは著書で、「母親たちを縛ってきた社会のダブルスタンダードをまたも見る気がする」と書かれている部分があります。母親が頑張って世話をしているときには「どんな苦難でも」と美化し称賛し、いざ追いつめられると「母親のくせに」とか「なぜ助けを求めなかったのか」と、その結果の責だけは母親に帰せられるとしています。また、その前段には、「「残して逝けない」と口にしようものなら、たちまち周囲の専門職から批判を浴びる」とあります。
障害のある子の世話は家族(とくに母親)がするものという風潮があるのでしょうか。頑張っている間は当たり前のこととして批判されないが、そうでなくなると、少しでも、不安や心配を口にすると批判される(ように思える)となると弱音も言えなくなります。専門職として私たちは言動を省みる必要があります。
子どもの世話はいつまで?
「子どもの世話を親がするのは当たり前」は多くの人が納得するでしょう。しかし、「それはいつまで?」と問われると、人によってさまざまなのではないでしょうか。「義務教育まで」、「高校を卒業するまで」、「20歳になるまで」、「学校を卒業するまで」、「就職するまで」、そして「生きている間はずっと」、などさまざまな答えが出されるように思います。はっきりとした基準がないため、そのときそのとき、その人その人の都合で決まっていくように思います。
しかし、「いつまで世話をするの」については、人さまざまなはずです。もし、障害のある子のいる家庭は特別(ほかとは違う)、「障害のある子だから」ということで「生きている間は親が世話をするもの」、という風潮が強いのであれば、それはひとつの区別ではなく、差別につながるものでしょう。
親も一人の人間として自分の人生を歩むことができるということが、「当たり前」のことではあっても、いざそれが「障害のある子をもつ親」の場合は「当たり前ではない」になっているのかもしれません。それは悪意のあるものではなく、知らず知らずにそうなっていることが多いと思いますが、そうであればなおさら「そういう考え方を変えていこう」と思うようになる必要があります。
「ふつうに老いることができない」というのはそういうことだと思いますが、親が高齢等の理由により体力が落ちてきているなかで、無理ができなくなっているにもかかわらず、「子どもの世話は親がみるもの」となっているのであれば、親の心が折れないためにも変えていく必要があります。
「障害者の親も「支援の必要な人」」
「子どもの世話をするのは親」ですが、いつまでが親が世話をするのかについて、その基準を明確にすることはとても難しいことです。親として世話をする時期を超えているにもかかわらず、親が世話をしている場合は「支援者としての役割」を果たしているので、その部分については、親以外の人が入っても大丈夫ということになります。むしろ、親以外の人が入る方が自然なのかもしれません。「障害のある子の世話」は「すべて親(できる限り親)」ではないでしょう。にもかかわらず、やむを得ず親(あるいは家族)がその役割を果たしているとするならば、当然、親(あるいは家族)の心が折れる前に、その親や家族に「支援」が入る必要があります。
人の寿命のサイクルでいえば、子どもよりも親の方が早く亡くなると考えるのが自然です。ずっと親(家族)が世話をしていて、親(家族)が先に亡くなったとき、困るのは障害のある本人さんです。親(家族)も子どもの世話をしながら、自分自身の人生を送ることができるためにも、親にも支援が必要なのです。
グループホームは本人だけのものではない
このように考えると、グループホームを実際に利用するのは、障害のある本人さんですが、グループホームを利用することによって安心感を得ることができるのは、本人さんだけでなく、親(家族)も同様になります。親(家族)が障害のある子のグループホーム利用を決断する時は、相当悩まれます。「本当は世話をしないといけないのにそれをしないのは無責任なのか」ということで悩まれる人もいますが、心が折れる前に(まだ余裕をもって世話をすることができると思える間に)グループホーム利用を決めることが私たち家族にとっても良いのだと思えるように、私たち専門職は支援をしていくことも必要だと思っています。
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