奥間氏はドキュメンタリー映画『骨を掘る男』の監督です。その映画は、沖縄戦の戦没者の遺骨収集を続けている男性の活動を追いながら、「会ったことのない者の死を悼むことはできるのか?」を追求しています。その男性の「遺骨収集現場で発する<逡巡>した声」、「まだ形にできない未完の言葉を少しずつ口にしているように聞こえた」(P.260)。そして、それに続く言葉は驚くほど<明瞭>だった(P.260)。その言葉とは、「戦没者への最大の慰霊は、二度と戦争を起こさせないことだと思っています」(P.260)です。

「なぜ、会ったことのない者の死を悼むことができるのか」。第三者的に見ているだけではその意味は見つけることはできないでしょう。遺骨を収集できたとしても、誰の遺骨かすぐには分からないのにその遺骨に何の意味があるのか。それを考えても、答えは見つからないでしょう。遺骨収集自体に意味があるのではなく、遺骨収集を通して「二度と戦争を起こさせない」という男性の決意、それは、「誰かのためではなく、自分のために遺骨収集をしている」と思えました。

その男性の思いを「私たちも獲得できるとすれば、場所と同様に集うことができる十分な時間」(P.264~265から部分的に引用)が必要と奥間氏は書いています。第三者の行動を理解するためには、実際に自分が体験することが必要で、それがないと想像の部分が勝手に広がりかねません。「体験もしていないのに理解できない」も簡単には言えないですね。(2026.9.23.)

(参考・引用図書:『骨を掘る男-わたしたちと戦争、そして沖縄』 奥間 勝也(著) 大和書房 2026年)