認識するとは、辞書的には「物事の本質を十分に理解し、その物と他の物とをはっきりと見分けること」(新明解国語辞典)とあります。つまり、その物が何かが分かるということだけでなく、その物が何かが分かると、他の物との区別ができるということです。ことばを変えれば「違いが分かる」ということですが、そのためには、本質を理解するためには、見えないことも見えるようにならないといけないということです。例えば、「りんごは、丸くて赤いもの」という見てわかる理解だけでは、「りんごの本質」は分かったことにはならないということです。食べてみると「甘い」とか「酸っぱい」とか、視覚(見る)だけでは分からない、味覚から分かるものがあります。触って分かることもあるでしょう。見ると分かってしまうと思ってしまいますが、それは錯覚なのでしょう。(2025.11.17.)