地域共生社会に向けた包括的支援と多様な参加・協働の推進に関する検討会
この長い名称の検討会は、今年の5月に設置されました。開催要綱を見ると、「包括的な支援体制を全国的に整備するための方策について検討を行うとともに、より広い視点に立って、社会の変化や個々人のニーズの変化、各地域で生まれつつある実践等を踏まえ、今後社会保障において強化すべき機能や、多様な社会参加と多様な主体による協働を推進していく上で必要な方策について検討を行うことを目的として開催するものである」となっています。何を検討するかについても、そこに書かれている通りのようです。
新たなアプローチとしての伴走型支援
この検討会の中間とりまとめがこの7月に出されました。そのなかの新しいアプローチとして伴走型支援が出されています。伴走型支援とは、「つながり続けることを目的とするアプローチ」としていて、「支援者と本人が継続的につながり関わりながら、本人と周囲との関係を広げていくことを目的とする」とあります。具体的には手続的給付を重視した設計になるようですが、長期にわたる場合を含め、本人の生きていく過程に寄り添う支援として、広く用いることができるとしています。具体化する視点の一つとして、「孤立した本人の他者や社会に対する信頼が高まり、周囲の多様な社会関係にも目を向けていくきっかけとなり得る」ということが挙げられています。
なぜ、「ひきこもるようになったのか」~「上級国民になれなかった」
今年の新語・流行語大賞の候補にもノミネートされている言葉に「上級国民」がありますが、今年の8月に『上級国民/下級国民』という本が出されました(橘玲・著:小学館新書)。その著書のなかで、橘氏は、コラムニストのオバタカズユキさんの「「上層階級(アッパークラス)/下層階級(アンダークラス)」は貴族と平民のような全近代の身分制を表していましたが、その後、階級(クラス)とは移動できる(下流から「なり上がる」)ものへと変わりました。それに対して「上級国民/下級国民」は、個人の努力が何の役にも立たない冷酷な自然法則のようなものとしてとらえられているというのです。いったん「下級国民」に落ちてしまえば、「下級国民」として老い、死んでいくしかない。幸福な人生を手に入れられるのは「上級国民」だけだ」ということばを引用して、これが、現代日本社会を生きる多くのひとたちの本音だと述べています。
勝ち組/負け組ということばもあります~最近は「身の丈」ということばも
勝ち組・負け組という言葉もあります。さまざまな分野に市場競争原理が導入されています。競争なので、当然のように、勝ち負けが生まれます。市場では良い商品やサービスを提供すれば、消費者に選ばれるようになる。そういうところが生き残る。だから、質を高めていきましょう。生き残りたいなら、がんばるしかありませんということが強調されたときもあります。結果、生き残ったところは、がんばったところ、生き残れなかったところは、がんばっていなかった、がんばりがたりなかったとみなされ、その過程はあまり問われません。結果がすべてになります。結果がすべてであれば、良質な商品・サービスの提供は二の次にして、まずは勝つために顧客を囲み込みたいという心理も働くでしょう。
「ひきこもりは自己責任?」
どれだけがんばっても、過程ではなく結果が重視されるのであれば、負け組になってしまったと思ったとたん、がんばろうとはなかなか思えないでしょう。また、『上級国民…』にある、「いったん「下級国民」に落ちてしまえば、「下級国民」として老い……」というような社会風潮があれば、「もう一度がんばろう」という意欲も湧いてこないでしょう。その結果、いわゆる「ひきこもり」になった人もいるでしょう。そのように社会的な要因があるにもかかわらず、「ひきこもり」状態の人を見ると、「怠けている」、「犯罪の温床となっている」、「努力が足りない結果だ」という自己責任的な見方をする人は少なくありません。
「いまさら寄り添うと言われても……」
そのようなひきこもり状態の人に、これからは「寄り添いますよ(伴走型支援)」。だから、「また社会とつながっていきましょうね」と呼びかけているようですが、「これまでは自分の努力が足りないと言っておきながら、いまさら」と思う人もいるのではないでしょうか。
この検討会の開催要綱には、上に引用したように「孤立した本人の他者や社会に対する信頼が高まり、周囲の多様な社会関係にも目を向けていくきっかけとなり得る」とあります。
まさか、「さみしそうなひとに声をかければ、安心して嬉しくなるだろう」という安直な気持ちでの提起ではないでしょうが、逆の視点が触れられていないのが懸念材料です。つまり「受け皿が受け皿となり得るか」です。目を向けられた方が、これまでひきこもり状態だった人の生き様の背景を受け止めることができるかです。人材不足をすぐに補うことを期待して採用すると、まずは社会のルールに慣れていくことを第一としている人には荷が重いでしょう。
「各地域で生まれつつある実践等を踏まえ」このアプローチが提起されていると思いますが、その実践でなぜ効果が生まれているかの分析をきちんと整理し、それをもとにして制度設計をしなければ、実績のある実践だからだから、どこでも適用できるという考えなら、絵に書いた餅で終わる可能性があります。制度設計の不十分さに因るにもかかわらず、「新しいアプローチをはじめたのに、なぜ、社会とつながろうとしないのか」、「新しい制度を始めたのに、なぜ利用しないのか」という当事者や事業所に対する自己責任論にならないように十分に検討された制度になって欲しいものです。
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