法人職員研修

毎年4月の第一土曜日に法人職員研修を行っています。法人化したときには7~8名だった職員も、10年余りが経ち20名程度になりました。「阿吽の呼吸で」ということが通用した時期から、「小さなことでも分かるまで説明をする」ことが必要になりました。大規模法人からすれば「少ない」と思われる規模でしょうが、「効率化」とか「集約性」とかいわれるこの時代、小規模は小規模での経営の難しさがあります。

今年の研修テーマは「ケース会議」

おりづるでは、ケースに関する会議を週1回程度行っています。私たちは、利用者を「仲間」と呼んでいます。障害のあるなしはあっても、「働いている」ということでは同じだからです。仲間たちへの支援について、職員はどのように関われば良いのか悩んでいます。「このように関わってみよう」とか「この声かけはどうだろうか」とか、いろいろと意見が出るようですが、「これをやってみよう」というように決めきれないことが多いようです。人と関わる仕事なので、やってみないと分からない、つまり正解はないのですが、なかなか「決める」という一歩が踏み出せないようです。

決められない理由は?

決められない理由は、いろいろと考えることができます。

①自信がないから

②自信がないから、いろいろと意見が出ても、いざ決断となる時に会議が静かになる

③そのまま結論が出なくて、これまでと同じ支援を繰り返す

④「繰り返すだけでいいのだろうか」という不安がよぎる

⑤不安が溜まっていくので、さらに自信がなくなる

という悪循環にはまってしまいます。このような典型的なパターンに入り込んでしまうことは少ないかもしれませんが、これに近いケースはたくさんあるように思います。いろいろと意見が出されたときに、「ああでもない、こうでもない。どっちにしようか?どっちが良いのだろうか?」と決めることができない。なぜ、このようになるのでしょうか。

決めることができるために

では逆に、決めることができるときはどういうときでしょうか。「私はこう思う」という自信があるときです。「(一般的に)こうだからこの考え方で良い」であったり、「(個人的な経験だけど)こうだったからこの考え方でやってみよう」というような判断をする基準がある場合です。決められないときは、その判断基準がはっきりしていないときが多いように思います。

支援に良し悪しはあるのか?「発達を保障する」取り組みを!

「発達を保障する」。難しい表現ですが、保障するということから「権利」ということばを思い浮かべることができます。「発達を保障する」=「発達する」という権利を具現化することになります。「発達」とは、この世に生まれてきた赤ちゃんの身長が伸びたり体重が増えることだけではありません。それは「成長」といわれています。「発達」とは、身長や体重のように計測して目に見えて分かる変化だけではなく、目で見ることができない「人間の内面」の変化にも大きな関心を向ける必要があります。その変化は、目で見ることができないので、確認することも難しくなります。自分の支援になかなか自信が持てない職員は、迷うことも多いようです。

発達を保障する取組み

障害の重い方は自分の気持ちを言葉で表すことが難しいことがあります。ほとんど発語のない方もいます。また、いわゆる「寝たきり」という食事や入浴、排せつなどに全面介助が必要で、その他日中もほとんど動きのない方もいます。でも、その方々も、自分の意思表示はされているのです。

まだまだ障害のある人への取り組みが軽度の方が中心で、障害の重い人への支援がまだまだ広がりがなかったことは、入所施設で日々時間を過ごすということが多かったようですが、ある日「この子、おつむ交換の時に、力んでいるような気がする。職員のおむつ交換が少しでも楽になるようにしているのかしら」という気づきから障害の重い方に対する見方(理解)が変わってきました。それまでの「寝たきりで何もできない」という見方(理解)から「上を向いて寝ることができる」という見方(理解)、つまり「できない・変わらない」という見方(理解)から「できる・できていた」という見方(理解)に変わってきました。

障害の重い方は「できない」のではなく、私たち職員が「気づいていない」ことも多々あったのかもしれません。職員の方が気づくことなく見た目で判断してしまい、「できない・変わらない」と決めつけていたという反省から、障害が重くても「変わる・変わろうとしている」という視点での支援が始まりました。

見えないものを見るという福祉職員の専門性

私たち福祉職員は、見えないもの(人間の内面)を見るという専門性が必要になります。それは、難しいことですが、先に紹介したように「障害の重い人でも、おむつ交換のときに力む」という意思を持って行動しています。私たちはその意思を持った行動を見落としている・見逃していることがあるということです。24時間365日マンツーマンの支援ができるわけではないのですが、職員個々が関わったときの事実を記録として積み重ねていくだけでも、見えることがあるはずです。というよりは、そのことは基本であり、最大の取り組みと言っても過言ではないかもしれません。

議論をしていて行き詰ったときに、「こうだったらいいのにね」とか「もし、こうだったら良かったのにね」というように、推測が増える傾向にあると思います。それは、課題解決に対しては現実逃避となってしまうので、支援での課題(悩み)は解決しません。

議論に熱中してしまうと、事実に基づかない推測をしているということに気づかないことも少なくはありません。「迷ったら原点に帰ろう」と言われますが、「支援に迷ったら事実に戻ろう」ということになると思います。やはり、基本は大事だと思います。

事実を積み上げたあとの福祉職員の専門性

事実を集めてケース会議をしたときに、「じゃあ、そのときの仲間の気持ちは?」と考えていくことになりますが、時として、悩みきって疲れたためか「考えても分からなかったね」とか「考えたけど、以前と同じ結論になったね」ということがあります。事実を集めて積み上げた後、仲間の内面に近づくために、どう推測をしていけばいいのか、大変苦労をしています。「これしかない」という正解はないけど、こんな感じでという方向性は見つけないといけないので。