阪神大震災が発生してから約30年となりました。当時、神戸市は市民当たりの公園面積が主要都市でトップだったようですが、公園のほとんどが新規開発地などにあり十分な延焼防止空間となり得ず、中央市民病院も人工島に移されアクセスが遮断されたこともあり搬送にも困ったようです。仮設住宅等での孤独死や自殺で多くの方が亡くなられています。

その年の夏に、神戸に行く機会があり仮設住宅も訪問しましたが、訪問する方の家が分かりませんでした。その時に通りがかりの警察官に聞いても分からず、結局「その方はこう行ったらいいよ」と教えていただけたのは、通りがかりの新聞販売所の方でした。仮設住宅で暮らしていても、誰がどの家で暮らしているかは知られていない、そういうことを現地に行くまでは気づくことができていませんでした。(2024.4.30.)

(参考・引用図書:『居住福祉資源発見の旅』居住福祉ブックレット1 早川和男(著) 東信堂(発行))