品川氏は、「正義の倫理が同じ権利が誰にもあることを一挙に高らかに宣言し、その結果、ときとして実質的な平等が実現しているかどうかの配慮を欠くことがある。これに対し、ケアの倫理では、誰も自分に関わりのある人々を気づかうことで、そうして編み上げられたケアのネットワークのなかへひとりも取り残さず包み込み、誰もが必ず、誰かにケアされることをめざしている」と整理しています。
そして、「ケアの倫理は、たまたま今、つながりができてしまった人々とのあいだにも、気づかい気づかわれる関係を要請する。文化や伝統を重視する、共同体主義とはそこが異なる。その点にケアの倫理が現代に示す、新たな展望のひとつがある」と書いています。
「分断が消滅する真の民主主義が実現」するためには、気づかい気づかわれる関係が恥じることなくできるときに成り立つのだと思います。いまだに気づかわれる(ケアを受ける)ことを恥ずかしいと思う人が少なくないでしょう。フラット関係ではなく、ケアを受ける=施しと思わされることもあるのでしょう。また、気づかう(ケアする)ほうも、「ケアしたいからする」ときと、「ケアせざるを得ないからする」のとでは、大きな違いがあると思います。なかなかフラットな関係にならないのは、「ケアせざるを得ないからする」ことが多く、その気持ちを感じると「気が引ける」となるということもあるのではないでしょうか。(2026.3.16.)
(参考・引用図書:『ケアの倫理と現代㊦品川哲彦 誰もが誰かにケアされる』 2025年11月14日付日本経済新聞 29面)

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