山根氏は、「米国のケアの倫理学者、ジョアン・トロント氏は、他者のニーズへの責任を認識し、適切にケアする倫理をすべての市民が実践する「共にケアする」民主主義社会を提唱している。共にケアする民主主義の下では(略)「ケアに満ちた社会」が実現しうる」と紹介しています。また、「ギリガン氏をはじめ「ケアの倫理」の議論は、ケアを通じて成長する個人を前提としている。「ケアに満ちた社会」でも、ケアする能力・責任を有する市民と、ケアされる脆弱な人々の二分法は維持される」とも書いています。

その前段で、山根氏は「では、ケアの倫理やケアの民主主義は、家父長制を変革し、ケアを担う人々の不平等を是正する力をもちうるだろうか」と問題提起をし、まとめとして「「倫理」から離れた場所で、ケアにかかわる人たちの「ケアの現実」が語られなければならない」と述べています。

「倫理」から離れた場所でなければ「ケアの現実」を語ることができないのか、「ケアが倫理として評価される」とき、どのような意味が先入的に(?)入り込んでいるのか。ケアと倫理について、賛否両論さまざまな人の考え方を、まずは整理する(知る)ことが必要だと思いました。(2026.3.9.)

(参考・引用図書:『ケアの倫理と現代㊥山根純佳 「自立」「依存」二元論の先へ』 2025年11月13日付日本経済新聞 30面)