なぜ、振り返ることが必要なのか

悪気がないとしても、仲間の意思(考えや気持ち)を確認せずに、職員が物事を進めていくと、それは「虐待」につながる可能性があるからです。

虐待は、殴るや蹴るなどの「身体的虐待」だけでなく、「心理的虐待」も含まれます。

 

それぞれの行動には理由がある

それぞれの行動には、説明できるできないを問わず、理由があります。

仲間が「休憩したい」と言うとき、理由が「しんどいから」か「楽をしたいから」かで、支援が変わります。「しんどいなら」休憩は必要ですが、「楽をしたいなら」作業への取り組み方を考えることになります。

 

〝ついつい〟がいけないのではない。振り返り、変えることが大事

仲間とかかわっているときに、仲間の行動の理由を説明できるくらいに考えて、仲間に確認して、そして支援をする、ということが、すべてになるわけありません。ゆったりしている時間もあれば、そのような余裕がないときもあります。余裕がないときは、どうしても〝ついつい〟の支援になりがちです。いけないのは、〝ついつい〟の支援に何の疑問を持たないことです。それは前述したように、仲間の意思に沿っていない可能性があるからです。

いけないのは〝ついつい〟の支援をそのままにすることです。大事なのは、〝ついつい〟をそのままにすることなく、〝ついつい〟の支援をしていることに気づき、職員の支援に不十分な点があれば、次からは同じことを繰り返すことなく支援をすることで、仲間の意思に少しでも近づこうとすることです。

 

振り返ること。振り返りに敢えて疑問を持つこと。

振り返ることは大事です。でも、単に振り返るだけでは不十分なのです。「私は振返っているから大丈夫」ではなく、一人で振り返るとどうしても思考パターンが決まってきます。振り返るときは複数で振り返り、そして「大丈夫」となったときでも、更に「本当に大丈夫なのか。反対の考え方はどうだろう。」などと常に疑問を持つことが大切です。それは、同じ仲間が同じ行動をしても意味合いが違ったり(ガッツポーズをしても、「がんばる!」というときもあれば、動きをまねしているだけのときもある)、時間が何日、何月、何年と経過するなかで、同じ仲間でもガッツポーズをするときの意味合いが変わっている可能性があることを忘れてはいけません。